おはようございます!
高校教員のたこぽんです!
1ヶ月書くチャレンジ毎日1記事更新9日目。
今日のテーマは「最近泣いたこと」。
もっとも直近で泣いたのは、3年くらい前です。
家庭と職場がどちらも忙しかった時期ですね。
今振り返ると、もっとどこかに手を抜いてもよかったと思います。
しかし、追い込まれている時って、冷静に判断することができないんですよね・・・。
そんな時、自分が追い詰められないための「第3の場所」を作っておくのが大事ですね。
私も強く実感しましたので、今日はその体験をお話しします。
コロナ禍の担任で多忙を極める・・・
その年、私は3年生の担任に入っていました。
1年生から継続してみてきていた子達だったので、いい卒業をさせてあげたいという思いでいっぱい。
さらに、うちの学年はちょうど新型コロナウイルスの発生・蔓延と重なる学年でした。
2年生に上がった4月に緊急事態宣言が発令。
様々な行事が中止や縮小される中、特にきつかったのが私が担当した修学旅行。
最初は10月に企画していたのですが、コロナ蔓延の状況で延期に・・・。
なんとかやらせてあげたいという気持ちで、翌年の3月に延期して企画を再調整。
いろいろ準備をし直し、感染対策も旅行の中に盛り込んでいきました。
今でこそ感染対策の型のようなものがありますが、当時はコロナ禍の修学旅行なんて誰も行かせたことがないので前例がありません。
・食事は?回数を増やして、一緒に食事をとる人数をできる限り減らそう!
・生徒の食事場所に飛沫防止のパーテーションの準備はできるの?
・生徒の自由行動?生徒が食べ歩きしてしまうかもしれないから中止にせざるを得ないか・・・。
・出発前の空港で生徒が発熱したらどうする?
・旅行先のホテルで発熱したら、隔離できる部屋は?
・そもそも教員が感染したらどうする?担任団みんな濃厚接触になって、できない可能性も・・・。
本当に、大量に発生した問題を解消し、なんとか出発1週間前を迎えました。
・・・が、まさに修学旅行1週間前に再度緊急事態宣言が発令。
心苦しいですが、生徒に修学旅行中止を伝えました。
結果、うちの学年は3年生までほとんど行事のないままに進んでいったのです。
第2子誕生と、担任業務でバタバタ・・・
3年生に入ってからも、バタバタな状態は続きます。
特に9月からは怒涛の忙しさでした。
9月から指定校推薦、10月からは公募制推薦の準備が本格化。
うちのクラスは特に推薦を希望する生徒が多かったです。クラス担任が推薦書を書かなければいけません。
20枚近くの推薦書を書かなければいけない中、受験生に向けての授業準備も進めなかればなりません。
そんな中、9月に第2子が誕生!
嬉しいことではありましたが、忙しさに拍車がかかりました・・・。
学校に残って仕事を進めたいけど、早めに帰らないと2人の子育てをしている妻が大変。
ということで、毎日定時退勤をめざして、日中とにかく仕事をこなす、という目が回る状態に。
休日も、学校に行って仕事を進めたいところですが、家で子どもを見る必要があるため無理。
そこで、家でも仕事を進めることにしました。
子どもが起きていない早朝3時に起きて仕事。
午前中、子どもを公園に遊びに行かせたあと、昼寝をさせてから起きるまでの時間で仕事。
とにかく、育児の合間で仕事、というあきじかんがない日々が続きました・・・。
そんな張り詰めている中、30代後半、大の大人である私を泣かせる事件が起きるのです・・・。
生徒指導をめぐって、学年主任と養護教諭の間で板挟みに・・・
3年生から私のクラスになった子がいました。
その子は理系だったこともあり、2年生までは日本史担当の私とはほとんど面識はありませんでした。
2年生の頃からかなり生活サイクルが悪化し、ネットゲームなどにハマってしまい寝坊して学校に来ないこともしばしばあった生徒でした。
その生徒が、3年生2学期から不登校気味に・・・。
その子の指導に対して、学年主任と養護教諭(保健室の先生)の指導方針が対立してしまいます。
学年主任は「サボりだから強めに指導していった方がいい」
養護教諭は「家庭環境や発達障害の感じがあるから強く指導しない方がいい」
さらに担任に一声もなく、養護教諭が勝手に進路面談をしてしまい、かなり振り回されることになってしまいました。
2学期末には進級に関わる問題も出てくるほどで、担任としてかなり手を焼いてしまいました。
毎日、その生徒が学校に来ているかどうかを確認し、出席日数が足りているかどうかを気に止む日々・・・。
しかし、本人は学校に来ている時と、あっけらかんとしており「すみません、起きられませんでした〜」と。
それでも、養護教諭は「それが障害の一種なんだ」というスタンスであまり指導しすぎない方がいいと言ってくる。
私の中でも、どちらが正しいか、わからなくなってきました・・・。
そんなある日、私自身が朝起きてから身体が全く動かなくなりました。
それでもなんとか力を振り絞って出勤。
しかし、出勤途中で「もう学校に行きたくない・・・」と思うように。
それ以降、足が動かなくなってしまいました。
そして、出勤途中早朝5時の道端、誰もいない中で号泣。
学校に行ってからももう頭の中がぐちゃぐちゃで青ざめてしまい、その日は体調不良で退勤。
帰宅しても忙しい子育て中の妻が家にいて、妻と話せる状態になかったので、電車に乗って一人でさまよっていました。
家庭でも職場でもない「第3の場所」が大事
今、この時期を振り返ると、自分の悩みを誰にも話せなかったのが問題だったと感じます。
職場の悩みを家に帰ってから妻に話したくても上の娘(当時4歳)が遮って自分の話をするため、ゆっくり相談できない。
そもそも、妻も生まれたばかりの下の子の世話で、私の悩みどころではない。
かといって、職場で相談できる人もいない。
コロナで飲み会はおろか「会食は悪」という風潮だったし、私自身も育児のため定時退勤していたため、職員室で相談ができない。
人って自分の思いを話すことができないと、本当にツラくなるんだなと思いました。
しかし、あの時の自分は家庭でも職場でも話をすることができる状態ではなかったのです。。。
なので、家庭でも職場でもない、「第3の場所」を作っておくことが大事だなと実感。
今後、同じように追い込まれた時に、自分を逃すことができる「第3の場所」を作る。
そのために現在、私はオンラインのコミュニティに参加したり、地域の史跡案内のボランティアに参加したり、活動を広げています。
オンラインであれば時間関係なく参加することができるし、地域の史跡案内であれば子どもと一緒に参加することも可能かもしれません。
悩みというのは、自分と直接利害関係がない人の方が話しやすかったりします。
家と職場との行ったり来たりだけでは、苦しくなってきます。
世界が小さくなって視野が狭くなると、追い込まれてしまいます。
皆さんも、ぜひ追い込まれる前に「第3の場所」を作っておくことをオススメします!
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