プロフィール

自己紹介

はじめまして。たこぽんと申します。

現在、公立高校の教員をやっています。

指導教科は主に「日本史」。

2022年現在、4月から1年間の育児休業をとって、子育て中心の生活を送っています。

このブログでは、10年弱自分が教員として働いてきた経験を語っていきたいと思います。

教員になったばかりの若手教員の方や、教員を目指している皆さんに少しでも役に立てればなぁと思って、情報を発信していきます!

今回は初回、ということで、自己紹介をしていきたいと思います。

学生時代 〜部活選択の失敗〜

自己紹介する上で、人となりがわかりやすいのが学生時代、何部に入っていたか?だと思います。
部活動は学生時代に自分で選べる数少ない要素です。
何に興味を持って、そこで何を経験したのかという、その人を色濃く表す部分だと思います。

私は、小学校は合唱部でボーイソプラノとして音楽に親しみ、高校時代は吹奏楽部でアルトサックスを始め、今でも趣味で吹いています。
こんな感じで根本的には、完全に音楽系・文化系の人間なのです。。。が!

中学校時代だけは、何をまかり間違ったのか、バレーボール部に3年間所属していました。
中学校に合唱部がなかったため、「小学校時代の先輩がバレーボール部に入っていたから」という完全に人間関係で入部。

しかし、残念ながら身体を動かすのは向いてなかったようで。。。

部員の中で唯一、朝練から欠かさず部活に出席していましたが、全く芽が出ず、レギュラーになれませんでした。。。
というか、運動全般が苦手だったにも関わらず、体育会系に入る自分が悪い。

今の自分だったら、自分には向いてないなと思ってバレー部を辞めて、音楽系の吹奏楽部に転部したでしょうね。
しかし、当時の自分は「一度始めたものを途中で投げ出すのはよくない」という固定観念に縛られ、万年「ベンチウォーマー」として、ベンチを温め続けていたわけです。

さらに、この「努力しても報われない」という状況から、朝お腹が痛くなって学校に行けなくなり。。。
これが続き、2週間近く不登校だった時期もありました。

この時、「人間には頑張ってもできないことがある」ということが肌身に染みました。

逆に、自分にやりたいことをやることが人生楽しく生きる方法なんだなと実感したわけです。

大学生時代 〜組織を作り上げていく面白さ〜

大学は法学部政治学科に進学。
この時の入試方法は公募制推薦入試で受験しました。

推薦入試は、まさに「大学で自分がやりたいことを伝えること」が重要な試験です。
なんとなく政治や社会のことに興味を持っていた自分は、このことを面接や小論文で人に伝えられるように勉強を重ねました。

そして、なんとか推薦入試で合格!
大学生生活がスタートしました。

大学では、新しくギタークラブに所属。
クラシックギターで合奏を行う部活動です。
中学校で運動部に入った失敗を学び、大学でも音楽系の部活動を選びました。

吹奏楽部への入部も考えたのですが、うちの大学の吹奏楽部は全国大会常連で練習量も半端じゃない。
大学では、政治学の勉強もしたかったため、吹奏楽部への入部は断念しました。

しかし、新しくやり始めたギタークラブでは、3・4年次に連続で部長を続けるほど、のめり込んでしまいました。

ここで熱中したのは組織論
ギタークラブの音楽監督の先生が、非常に組織論にあつい方でした。
よくギタークラブの運営を事例として、話をしてもらいました。

組織で最も重要な業務は何か?
それは「採用」。

なぜならば、たとえ演奏のレベルを上げたり、地域貢献活動部活動として、どれだけいい活動をしたとしても、来年の部員が0人になってしまったら、活動を継続することはできないのです。

特に学校などの部活動はシビアです。
どれだけの部員数がいたとしても、中学・高校なら3年、大学なら4年で0人になってしまうわけです。

なので、自分は部長として、いわゆる新入生勧誘活動に最も力を注ぎました。
いわゆるサークル勧誘ですね。
自分が部長だった年、当初は16人だった部員を、40人にまで増やしました。

ここで学んだ組織論は、教員になってからの部活指導に活きてくるわけです。

社会人時代 〜高校生の成長ってすごい!〜

大学卒業後は、民間企業に就職。現役高校生の予備校で進路指導スタッフとして勤務。

教員への道を考えていなかったわけではないのですが、勉強ができない自分は勝手に「採用試験で勉強しなきゃいけないし無理!」と思っていました。

なんとなく教育業界への憧れは捨てきれず、現役高校生の予備校に就職。

進路指導スタッフとして勤務し始めました。
いわゆる授業は担当しない進路指導のみのチューター的な役割ですね。
塾生とのふれあいは楽しかったですね。

何よりも驚いたのは高校生の成長度合いです。
高校1年生の頃は、まだまだあどけなかった塾生が、3年生で塾を卒業する時になると、一人前の大人として話ができるようになるんですよねー。

本当に、高校生の3年間って、人生において大事な期間なんだよなーと思いました。

しかし、社会人になるも、なかなか入塾者目標が達成できず。。。
長時間働くのが当たり前の環境で、かなり精神的に削られていきました。

民間企業で、利益を出せなければいけないわけですから当然ですが、連日終電で帰宅、目の前の先輩たちは何十連勤。。。
「このまま自分はこの先輩たちのようになっていくのか。。。」と、漠然とした不安を覚えていました。

今考えればブラックな職場だったんでしょうねぇ。。。

転職のきっかけとなったのが、忘れもしない2011年3月10日。
東京大学の合格発表で、自分が社会人になってから担当した学年の塾生たちが受験していました。

担当していた子たちが、みごと東大合格!

すごいなぁ、ああいう子たちが東大に行くんだなー。と思って余韻に浸っていた翌日。。。

3月11日、東日本大震災です。
私が勤務いていた校舎は全面ガラス張りのおしゃれな造り。
震災で一部のガラスが倒壊し、一時期入ることができない状態に。。。

そのまま、塾生の安全を考えて、校舎閉鎖が決定。

当然、別の校舎に異動になるわけですが、「このままでいいのか、自分」と真剣に考えるきっかけになりました。

形あるモノは無くなるし、人も亡くなるのだと言う事を震災で体感。
自分も「教員をやりたい気持ち」を押し殺したまま、生きていっていいのか?と思うようになりました。

そして、一念発起して退職を決意。
全く先の進路も決まってもいなかったのですが、なんとなく夢見ていた「教員」の道を目指すことになりました。

非常勤講師時代 〜「授業すること」って大変!〜

前職を辞めたのがその年の5月。
前職の好意で有給休暇を全て消化して(就職して3年間1日も取得していませんでした・・・)教員採用試験に向けて勉強を始めつつ、次の仕事を探し始めました。

おかげさまで、その年の9月からは私立の非常勤講師の働き口が見つかりました。

その時、初めて授業をして思ったことは、

授業をやるのって、めっちゃ大変!

授業って、教員自身が何をやるのか?を決めて、どのようにやるのか?を考えて、実際にやってみて、その後何をどう変えれば良くなるのか?を考えて進めていくんですよね。

もちろん、塾のスタッフ時代にも人前に立って話すことはしていたんですが、話すべき内容はほぼ決まっていました。

それを毎回、授業内容考えて、それを生徒の前でやって、さらに生徒のイレギュラーな動きに対応して…。

本当に、最初の年はパンク状態でした。

そして、これを平然とやりながら、その他の担任業務や分掌業務、部活指導までこなしている正規教員の先生方って、どんだけすごいんだ!?と思いました。

その他、自分と同じように非常勤講師をしながら、教員採用試験を受けている先生方とも知り合いました。

その中には臨任(臨時任用教員)の先生もいました。
臨時任用教員とは、正規の先生と同じように担任などの仕事もやるけど、雇用は1年だけ、という雇用の形です。
自分は非常勤講師だったので、やるのは基本的に授業だけだったんですね。

そうなると、臨任の先生は、担任やらその他の仕事もしながら、教員採用試験を受けなければいけないわけで…。
教員としての能力はすごくあるのに、臨任の仕事が忙しくて採用試験の勉強ができずに、結局不合格…。
何年も臨任をやりながら、正規教員を目指している、という優秀な先生方にも多くお会いしました。

こういう人々に支えられて、今の学校教育は成り立っているんだなー、と実感しました。

初任校 〜部活動顧問に燃える!〜

その後、なんとか教員採用試験に合格!

社会人6年目にして、新卒と人々と一緒に公立学校教員1年生の、再スタートを切りました。

正規教員になって、やりたかったことは吹奏楽部の顧問。

元々、自分も高校生時代、吹奏楽部でした。
さらには社会人になっても音楽を継続していたため、社会人になっても音楽を趣味として続けられる生徒を育てたいと思って、吹奏楽部顧問に力を入れたいと思ったのです。

初任校の吹奏楽部では、専任の音楽の先生がおらず、ちょうど指揮を振る教員がいない、という状況でした。
さらに、自分が顧問になった当初の部員数は、なんと5人

部員5人なんて、吹奏楽じゃなくて、アンサンブル(少人数合奏)やーん。。。

と思いつつ、4月の新入生勧誘活動では、自分も楽器を持って生徒と一緒に演奏しました。

その結果、自分が顧問をやってる間に部員数を5人から40人にまで増やすことに成功しました。
もちろん、顧問の力というよりもは、そこで「この部活を潰したくない、もっと盛り上げたい!」と頑張ってくれた、生徒たちの力なんですけどね。

学校説明会で中学生に吹奏楽部をアピールしたり、プロの演奏家とコラボする機会を作って演奏会に出たり。。。
吹奏楽部の発展につながることなら、とにかく活動を広げていたのが、初任校での教員活動でした。

土日出勤は当然で、30日連勤なんてのもザラでした。
朝一番に学校に出勤し、学校を出るのは21時、22時。。。

さらに、吹奏楽コンクールのも指揮者として参加しました。
コンクールの前日。

妻が衝撃のひとこと

「たこぽん、ちょっと後ろ向いて頭見せて!

・・・ありゃー、ハゲてる。。。」

あまりのプレッシャーとストレスで円形脱毛症に。。。
人間の身体って、わりとわかりやすいもんなんだなーと実感。

妻曰く、この時期の自分はかなり追い込まれていたようで。。。

寝言で生徒に「そこ違うだろ!」と合奏指導したり、夢で学校のことを見ていたのか、突然叫んで起き出したりと。。。

楽しくもかなりストレスのかかった、学校一色の生活でした。

2校目 〜育児はつらいよ〜

2校目に異動のタイミングで、第一子誕生。

部活動は、1校目と同じく吹奏楽部を担当しました。
1校目と同じように吹奏楽部の組織改革に手をつけていったのですが・・・

まったく時間が足りません。
子どもをお風呂に入れるために、定時帰宅をめざす日々。
しかし、定時帰宅しようとすると、生徒との合奏の時間が取れない。。。

1校目と同じように、土日は部活指導に出勤していたのですが、徐々に妻が不機嫌に。。。
妻が仕事復帰してからは、ぶつかりまくり。。。

当初、なんでこんなに妻が不機嫌なのかわかっていませんでした。
しかし、話していく中で、これは土日の部活出勤も控えた方が良さそうだなと理解し、思うように部活に時間を割けなくなっていきました。

自分の気持ちの中では、中途半端なままコンクールへ。。。
結果も散々なものでした。

ここから、いわゆるワークライフバランスについて、本気で考えるようになります。

「自分はこのまま部活一辺倒の教員でいいのか?」
「他人の子どもばかりを見守って、自分の子どもは見守らなくていいのか?」

そんなことを悩んでいる中、世間では新型コロナウイルスの感染が広まります。。。

新型コロナウイルスの影響

2020年4月7日、新型コロナウイルスの影響による、初の緊急事態宣言発令。

長期間の登校禁止、オンライン授業・テレワークの実施…。
前代未聞の対を鵜が増える中、結果的に自宅での育児時間が増えていきました。

そうなると、やっぱり実感するわけです。
自分の子どもってかわいいんですよね〜。
家族と一緒にいられる時間を、少しでも増やしていきたいなと思うようになってきます。

そのほか、体育祭・文化祭などの学校行事の中止。。。
特にその時、自分は修学旅行を担当していました。
右も左もわからないまま、感染対策を盛り込んだ旅行計画を立てるだけ立てて、結果中止。。。

これには、かなりの精神的ダメージを受けました。
「自分はなんのためにこれまでやってきたんだろう?」
「そもそも学校の活動に、行事なんて必要なのか?」

教員の仕事自体が、本来何をすべき仕事なのか?
さまざまなことを考えるきっかけになりました。

そして、今まで命をかけて運営してきた部活も長期間活動中止。
自分にとってのアイデンティティがなくなってしまった気分でした。

そのような環境の中、2021年9月に第2子が生まれました。
「育休をとってみるか・・・」

今しかできないことを、今やる

コロナへの対応や、育児の疲れから一旦立ち止まって休みたい、という気持ちもありました。
周りの目を気にせず、今やっておかないと、二度とこんなチャンスはないと思い、1年間の育児休業を決意しました。

当時、担任していた3年生のクラスにも、自分が1年間の育休を取ることを伝えました。
卒業式の日、ありがたいことに担当しているクラスの生徒が、育休に入る自分にもプレゼントを用意してくれました。

色々、様々なイベントがなくなって、つらい学年ではあったのですが、この時ばかりは「教員をやっていてよかったな」と、しみじみ思いました。

1年間の育児休業中

そして現在、2022年4月から1年間の育休に入っています。

2022年10月現在、本当に育休をとってよかったな〜、と感じています!

自分の子どもと一緒にいる時間が増えることで、より愛情が深まりました。
そして、生徒たち一人一人にも、同じように愛情を持った親がいるんだと実感することができました。

育休中に思ったことの詳細は今後、改めて記事で書いていこうかと思っています。

それでは、これからもよろしくお願いします!

たこぽん

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