高校教員の「皆勤指導」は必要か?

仕事のこと

おはようございます!
高校教員のたこぽんです!

『書く習慣』1ヶ月チャレンジ19日目!
今日のテーマは「自分があまり賛成できない常識」です。

これは・・・。
学校現場で行きている人間としては、本当にたくさんありますね。
高校で教員をやっていると、いわゆる生徒の生活指導をする必要が出てきます。

集団生活をしているから、ある程度周りと合わせる必要がある。

というのはわかりますが、それはどうなんだろう?というものも・・・。
今回は、私が指導をしていて特に思うのが「皆勤指導」

「皆勤」を目指す必要はあるのか?

「学校は絶対に休んではいけない!」という意識を植え付けるのがまさにこの「皆勤指導」ですね。

確かに、クラス担任として教壇に立っていると、ポコポコ穴の抜けている教室より、びしっと全員が揃っている教室の方が気分がいいわけです。
そして、他のクラスの先生からも「〇〇組はいつも揃っていていいですね!」とか「〇〇組はいつも誰かがいないですね…」と言われるわけです。
そうなると担任としては「全員出席」を目指してしまうわけですね。

もちろん、生徒たち自身が楽しくて教室に行きたくなるのが一番です!
クラスみんなが楽しんで自日常を過ごし、全員が揃っている教室は間違いなくいい環境ですね。
しかし、それが妙な圧力になりすぎていないか?という点は気を付けていきたいものです。

極端な皆勤を目指した「皆勤指導」は、社会人になってから「仕事を絶対に休んではいけない!」という意識を植え付けてしまう危険性があります。

「自己判断」のできる社会人を育てることが重要

社会人になって、会社に勤めても基本的には遅刻や欠席なく出社する
これはいいと思います。
しかし、あまりにも義務感になりすぎて、本当は苦しいのに、体調を崩しているのに、それでも無理をして出勤してしまう雰囲気がある気がします。

苦しい時に「自分で休める」という選択肢は持っておいた方がいいですし、有給休暇は権利です。
かくゆう、私も社会人になった頃はそんな意識はなく、とにかく働き漬けでした。。。
そんな時期は正直、身体的にもきつく「休みたいな〜」と思った時は何度もありました
それでも「仕事を絶対に休んではいけない!」という意識から、1社目は1度も有給休暇は取らず・・・
結局、残っていた有給休暇を全て取得してから退職しました。
この時、在職中に「自分で休める」という選択肢を持っていたら、もっと生きやすかっただろうなと思います。

私は「その日、学校に行く以上に価値がある」ならば、学校を休んでもいいと思っています。
それは、心身ともに疲れすぎてしまって、自分を休ませた方がいいという場合も含めてです。
「皆既月食を見に行く」でもよいと思います。
その時にしか学べないことがあるのなら、それを止める必要はないのではないでしょうか。

もちろん、その分の授業の遅れや、欠席日数の確認などは、生徒自身がする必要があります。
逆に、そのぐらいの自己管理は生徒自身にやらせても問題ないと考えます。
それは、社会人になったら最終的には自分で判断しないといけないからです。

例えば、苦労しながら会社に休まずに行って精神的な病気になったとしても、最終的には自己責任になります。
もちろん労務災害が出る可能性もありますが、会社は何もその後の保証をしてくれません。

例えば、その会社が向いていなくて転職活動をする際、会社には黙って活動した方がいいわけです。
何もバカ正直に「転職活動するので有給休暇使います」と言ってやる必要もないです。
さらに、周りを気にして転職活動をできず、自分のキャリアが積めなかったとしても、最終的な責任は自分にあるわけです。

この辺りの自己判断は高校時代に養っておくべきだと思います。
だからこそ、高校生になって社会人に足を踏み入れた彼らに対して強く皆勤を求める必要はないと、私は考えますね。

学校は「自由と管理」の「はざまの場所」

おそらくこれらの根底には、教員は「生徒を信用していない」という点があるんだと思います。
例えば、一言でも欠席を認めてしまう発言をすると、「みんな来なくなってしまうのではないか?」という不安
「自分で判断させる」と言っても、「きっと生徒はサボり始めるだろう」という不安

私も担任をしていたこともあるし、今後も担任をすることがあるので、痛いほどわかります。
「クラス40人全員が、こちらの指導を聞かなくなったら収拾がつかなくなる・・・」という恐怖感。
できる限り生徒に「自由」にさせたいけど、ある程度「管理」をしないと収拾がつかなくなってしまう・・・。

皆勤指導というのは、「自由と管理」のはざまの指導なんだと思います。
そして、皆勤指導に限らず、生徒の生活指導というのは「自由と管理」のはざまの指導
私としては、できる限り「自由」にできるように指導していきたいと思っています。

どこまで「自由」を許容できるのかは、その学校の雰囲気や、学力にも大きく影響してくると思います。
「自由」を任せられる生徒との関係と「自由」を許容できる学校の雰囲気を作っていきたいものですね。

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